東ティモールの歴史とピースウィンズの緊急支援

 東ティモールは東南アジアに位置している、21世紀最初の独立国家です。



東ティモールの歴史を語る上で“占領”という言葉は欠かすことが出来ません。
もちろん簡単にまとめたりできるものではありませんが、大まかな歴史の流れを書いておきます。


ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化され、その後オランダが進出し、1859年に西ティモールはオランダ領、東ティモールはポルトガル領となりました。

第二次世界大戦中、西ティモールも東ティモールも合わせて日本軍の占領期間を経て、旧オランダ領(西ティモール)はインドネシア共和国として独立、東ティモールは再びポルトガル領となります。

1974年にポルトガルの独裁政権が倒れたのを契機に、東ティモールでも独立の機運が高まり、1975年にポルトガルからの独立を果たします。しかし、その直後インドネシアが軍事侵攻をし、強制的に併合されてしまいました。

1998年にインドネシアのスハルノ体制が崩壊し、東ティモールで再度、独立に向けた活動が活発化し、翌1999年8月30日、独立の是非を問う国民投票が行われました。

投票の結果、独立支持が78.5%を占めましたが、インドネシア併合派は選挙結果に従おうとせず、一部の武器を持った人たちが「選挙結果は公平でなかった」と独立派の人たちを襲撃しました。多くの家が焼かれ、国内には住む家も食料もない難民が溢れかえりました。

同年9月7日、インドネシアのハビビ大統領が、東ティモールに厳戒令を布告し、インドネシア国軍が全土を掌握しますが、併合派と結びつきが強く、暴力行為を抑え込めない状態となります。

9月20日、無政府状態となった東ティモールに多国籍軍が介入し、治安維持活動を開始します。

ピースウィンズも緊急支援を開始

ピースウィンズは、多国籍軍が駐留して紛争がくすぶる1999年10月1日に現地入りし、2日後にはすぐに東ティモールの国内避難民への医療支援活動をスタートしました。混乱を極める東ティモールに入った7日後には、国連世界食糧計画と協力して、米の配給事業を開始しました。また、独自に調達したマットレス2万枚を10,000家族に配布しました。

また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と契約し、破壊された住居の復旧・建設事業を1999年12月から2000年12月にわたり実施しました。
最終的に同事業では合計5000戸・受益者数延べ35,000人の住宅を復旧・建設しました。


[国中に避難する人が溢れ、ピーズウィンズは緊急支援を開始した]


独立に起因した国内避難民を対象としたピースウインズの緊急支援も、2001年から2002年に終わりを迎えようとしていました。ここで、ピースウィンズとして東ティモールへの支援を緊急支援で完了とするか、さらに数年滞在して復興開発支援まで行うかを検討するために、ニーズ調査を開始しました。

調査でわかったことは、首都から離れた地域には充分支な支援が届いていなかったこと、そして品質も管理されずにジャングルのように生えているコーヒーをフェアトレードとして支援することで、コーヒー生産者の自立支援をすることができそうだということでした。 「届きにくいところに支援を」をモットーとしているピースウィンズは、首都から未舗装の悪路を四輪駆動車で4時間ほどかけてようやく到着する標高1400-2100mに渡って広がる熱帯高地「レテフォホ」での調査を開始しました。

ここレテフォホは、東ティモールで話されているテトゥン語で「山の上」という意味を持ち、生産者の方に話を聞いてみたところ、今までコーヒーは作っていたが、手入れなどしたことがなく、生産したコーヒーもインドネシア産のコーヒーとして二束三文で買いたたかれていたとの事でした。


 コーヒーと決まったけど、どうしよう

ピースウィンズは、各国で人道支援流を行ってきましたが、コーヒーとなると全く知識がなかったため、唯一ともいえる換金作物の「コーヒー」を通じた支援の具体的な方法を決めるために、専門家を招聘してコーヒー産地としての東ティモールを見ていただきました。

 その結果、「ポテンシャルはとても高い。島国で山の上であることから交配も防がれ、原種に近いコーヒーが奇跡的に残っている。ただ全く管理や手入れがされていないので、ゼロからのスタートになるし支援は長期にわたることが予想されるが、ピースウィンズがそれに向き合う決意があれば必ず美味しいコーヒーになるだろう」という趣旨のコメントをいただきました。

それを受け、ピースウィンズはコーヒーを通じた小規模生産者の収入向上・自立を目標とする事業を行うことを決定しました。同2002年には東ティモールは正式にポルトガルより独立し、新しい国としてスタートを切りました。

 

 翌2003年からコーヒー事業を正式にスタートし、2019年の本日まで、東ティモールの小規模コーヒー生産者と二人三脚で頑張っています!

 

 

東ティモールにおける現在までのピースウィンズの取り組み

 

緊急支援終了後、ピースウィンズは1年間の調査期間をおいて、2003年からコーヒー事業をスタートしました。

 

【高品質コーヒーの生産を通したコーヒー生産者の収入向上】

当時、コーヒー生産者の中に栽培•加工知識を持った人がおらず、コーヒーチェリー摘み取り後、そのまま中間買い取り業者に低価格で販売していました。

 

ピースウィンズはコーヒーの精製方法を生産者に指導し付加価値を高め、出来た豆を従来よりも高価格で買い取り、ティモール国外に販売を開始しました。 

コーヒーチェリーを売っているときは、望まない金額(買い叩き)を提示されても、腐ってしまうから仕方なく売っていたり、業者が買い取りに来ない年は、せっかく収穫したコーヒーを泣く泣く廃棄したりすることもありました。

 

しかし、生産者がパーチメントと呼ばれる生豆になる前段階まで加工することで、それまでよりも格段に保管期間が長くなりました。そして、買い手の言い値を飲む必要もなくなって、買い叩かれにくくなりました。

 

当初はピースウィンズの提案に、“仕事が多くなる”、“そんな金額でコーヒーが売れるはずがない”と、参加をためらう人が多く、10世帯のみでのスタートとなりました。

 

しかし、参加した生産者の収入が実際にそれまでの2倍以上になったのを、参加をためらっていた生産者も知ることになり、参加希望の人が年々増加していきました。

私達ピースウィンズでは生産者が自ら高品質なコーヒーを作れるよう、現在405世帯もの契約農家さんに、技術の指導や買い取りを通じた支援をしています。