コーヒー生産者の想い

2003年から始まったコーヒー生産者支援事業は今年で17年目を迎え、当初は10世帯のみの参加でしたが、現在では405世帯の生産者とその家族約3000人を支えるまでになりました。

今回は、私たちと一緒にコーヒー作りに励んでいる生産者さんにインタビューしてみました。

【Mrs.Teresa Fatima de Deus Maia テレサ ファティマ デディウス マイヤさん(57歳)】

私はLebudu Leten(レブドゥ•レテン)という集落でコーヒーを作っているテレサといいます。
私の家族がPWJの取り組みに参加したのは2003年で、一番最初からのメンバーです。
PWJのコーヒー作りへのリクエストは初めての事ばかりだったので、最初は10世帯しか参加しませんでした。

PWJの事業に参加するまでは、毎日の食事代や、東ティモールで昔から伝わる伝統行事を行うのに、お金が足りなくなった場合、誰かから借りるしかありませんでした。

東ティモールでは100ドル借りると倍の200ドル返さないといけないので、大きな金額を借りるととても大変でした。コーヒーは、インドネシアのコーヒーとして、品質は特に問われなかったけど、安い値段で仲買業者に売っていました。

参加後は、加工の技術指導をしてもらったおかげで、自分たちで豆を加工することができ、付加価値を付けることができるようになりました。コーヒーの加工を始めるのに必要な機材(脱肉機、ブルーシート、バケツなど)も提供してくれて、本当に私たちを応援してくれているのが伝わってきました。

そして、PWJは私たちの頑張りを認めてくれて、今までより高い価格でコーヒーを買い取ってくれました。最初は難しそうだと参加をためらい、今までどおり買取業者にコーヒーを売っていた人たちも、私たちの収入が増加したことに気づいて、どんどん加入してきました。

【集落の代表として、他の生産者にも加工技術を伝えている】

最初の収入は借金返済に充てていましたが、自分たちの収入で必要なお金をまかなえるようになり、自分の子どもたちや、親類も大学に行かせることができました。そして何より嬉しいのは、自分たちが住んでいる集落の名前がついたコーヒーが世界中で売られていることで、私たちも誇りをもってコーヒーを作っています。

今心配なのは、雨季に雨が少なかったり、乾季に雨が降ったりすることと、コーヒーの木が古くなって、実があまりならないことです。

頑張ってコーヒーを作りますので、日本の皆さんもぜひ飲んでください。

【Mr.Rogerio Maia de Deus ロジェリオ マイア デ ディウスさん(58歳)】

私はLacau(ラカウ)という集落でコーヒーを作っています。

私は2003年にPWJの取り組みに参加しました。それまではコーヒーチェリーを売っていましたが、PWJからパーチメントの加工技術の指導をしてもらい、パーチメントを作り始めました。

当時、多くの農家が仕事量が多くなることに抵抗感があり、PWJの取り組みに参加するのをためらっていました

しかし、最初に加入した私たちが高品質のコーヒーを生産し、それまでよりも高価格でPWJが買ってくれ、すぐに他の農家も参加を希望するようになりました。

収入が向上したのはもちろん喜ばしいことですが、自分たちが生産するコーヒーに誇りが持てるようになったことも大きな変化です。

最近は、自分の集落だけでなく、新たに加入した集落に対しても、これまでPWJから教えてもらった技術や知識を伝えています。地域全体がコーヒーによって活性化することを願っています。

 

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