【第四回「心の豊かさ」】

どうも、吉田です。
 
なんやかんやあって今はまだレテフォホにいます。相も変わらずのんびり日々を過ごしながらも東ティモールを出国する日は近づいてきており、若干そわそわしてきています。そんなことはさておきインターンシップ終了間近とは思えない本題に入ります。

人は普段、相手の顔や表情を見ることで何を思っているのか、次にどんなことを行うのか、自分の発言は正しかったのか、ということを判断します。自分で述べるのは謙虚さに欠けますが、私はこの読み取る能力に若干長けているところがあると自負しています。ですから日本では相手の話していることが本心からなのか、それとも上辺だけなのか、なんとなくわかっていました。日本人は比較的、愛想笑いやその場でほしい言葉をよく使います。そんな環境を見て、なんとも窮屈だなあと思いながら生活していました。
 
 
東ティモール、特にレテフォホでは私が話す付け焼き刃のテトゥン語では中々通じません。ですから相手の顔を見ながら、今自分の話している言葉は伝わっているのか、同じ考えを共有できているのかと判断しています。そんな折、気づいたことがありました。
ここの人々は一見、真顔で怖いものの素晴らしい笑顔を持っているということです。その笑顔には私が日本で感じていた窮屈なものは無く、ただ純粋な感情から生まれるものが存在していました。それは嬉しさや楽しさといった感情とは異なるように思えるのですが、いまだになんなのか私もよくわかりません。ただ、彼らの笑顔を見るとこちらもおもわず微笑んでしまい、ほんの少しだけ幸せな気分になるのです。
 
 
​レテフォホの彼等が暮らしている環境は水を急な斜面を降りて取りに行かなければならなかったり、夜は全く明かりがなくなり目の前ですらも闇だったりと、日本にいる私達から見れば便利なものではありません。ですがそれでも彼等があの笑顔を持てるのは便利に生きると言う豊かさよりも、もっと豊かな心を持っているからなのかもしれません。 
あ、ちなみに犬はみんな真顔です。
 
それでは。

 
 
 

 【吉田通信目次】

第一回「戻ってきた、東ティモール」

第二回「現場から考える生産者支援」

第三回「生産者と消費者の距離」

第四回「心の豊かさ」

第五回「東ティモールで得たもの」

 


トップに戻る